4年前に出版した拙著
「自己啓発って言いたくないけど、でも誰かを啓発する言葉」
のプロローグにも書いたけど、
ここの文脈好きなマニアックで素敵な方が
たまにいるので(笑)
改めてpostします。
小・中・高校時代は、
東京の端の片田舎T市にある古い団地に住んでいました。
団地は、ドアも間取りもほぼ一緒。
上下左右に同じ部屋が密集し、
至近距離に他人が住んでいる不思議な空間だった。
駐輪場に自転車を置いていたら何度も盗まれたし、
原付バイクの鍵を壊され、そのまま傷つけられて、
近くの公園に捨てられていたこともあった。
壁にはラクガキがあり、階段には、
吐き捨てられたガムが固まってこびりついていた。
団地には、ヤンキーの先輩も多かった。
深夜に呼び出されては、
くだらない遊びに付き合わされた。
自分がどれだけ強いか、どれだけ根性があるか。
若さゆえの小さなプライドをかけて、
友だち同士で競い合っていた中2の頃。
いつもつるんでいた仲良しグル―プで、
ある気の優しい友人を仲間はずれにして、
いじめが始まった。
リーダー格の奴が、彼に言った。
「この中で、誰かひとり選んでタイマンを張れ!」
彼はもちろん、誰ともケンカなんてしたくなかった。
でも、逃げられない雰囲気を全員が作る。
5、6人いたグループの中から、彼は、
ケンカの相手として「僕」を指名した。
当時、空手をやっていて
腕っぷしに自信があった僕は、こう考えた。
「まさか、俺が一番弱そうだから選ばれたのか?」
「もしかして、俺は舐められているのか!?」
プライドを踏みにじられた気がして、
頭が怒りでいっぱいになった。
そして、自分がどれだけ強いかを
周りに知らしめたいと思った。
他人の評価を気にしすぎて、
自分のプライドを優先したんですね。
冷静さを失った僕は、
彼に大きな怪我をさせてしまった。
すぐ学校で問題になり、警察沙汰にもなった。
もちろん、両親にこっぴどく叱られた。
この時、母から言われた言葉を聞いて、
僕は涙を流した。
なんで、あの子が翔太を選んだかわかる?
了戒なら、このバカげた状況から救ってくれるんじゃないか。
助けてくれるんじゃないか
そんな期待を込めて、
あなたを指名したんじゃないかな。
僕たちは小学校も同じで、普段から仲が良かった。
『彼は、僕に助けを求めていたのだ』
そんな単純なことに、あの瞬間は気づけなかった。
僕は、取り返しのつかない大変なことをしたと後悔をした。
自分を頼ってくれていた大切な友人を、
くだらないプライドのせいで傷つけてしまったと。
彼の怪我は数カ月で直ったけれど、
彼との間にできた溝の修復には、時間がかかった。
あの時ほど、自分がふがいないと、みじめに感じたことはない。
もう絶対に人を傷つけたくない。
くだらないプライドはさっさと捨てよう。
中学2年の秋、僕は誓った。
『人や環境に流されるのは、もうやめよう。
人や環境のせいにするのも、もうやめよう』
そして、決めた。
自分の心が導くものに素直になる、と。
外のノイズをかき消せ。自分の心音を聴け。
流されない自分を作るんだ。そう心に誓ったのです。
ここまでは本にも書いた内容ですが
このように一見、ネガティブに思えるような出来事は
誰の人生にも幾度と起こると思います。
でも、その経験があったからこその「今」です。
僕の場合は、周りやその場の環境に流され続けて
生きてきて失敗もしたからこそ、
自分の軸で立ちたいと思えたし
他人や環境に流されない強い気持ちを持つことができた。
「楽しくない状態」を味わったことがあるから、
「楽しい」という感覚をものすごく味わえる。
「つまらない日」を過ごしたことがあるから、
「楽しい」日々を尊く感じられる。
「不幸せ」を感じたことがあるから、
「幸せ」を感じられる。
「嫌い」「つまらない日」「不幸せ」を感じたのは
「好き」「楽しい」「幸せ」を
感じるための下準備に過ぎない。
そう、ただの「前フリ」です。
だからどんな出来事も無駄じゃない。
必ず意味があって、
本当の自分の在り方(ビーイング)に
立ち還るために用意された
神様からの試練みたいなもの。
だから過去の「痛み」は
未來の「励み」にしていこうね。